つげ義春、手塚治虫、石ノ森章太郎

つげ先生の漫画は、まず先にやりたい絵(強烈イメージ)があり、それを並べるためにテキトーな話をでっち上げて作ってる(※あくまで寺田の独自解釈です)実はそのような手法の漫画にかつて拍手が起こった状況すごく日本的で、たとえばハリウッド映画なんかを見ると分かるが、あっちの人たちはストーリーがないとスゴさを納得しない。

 


たとえば『ポケットモンスター』(縮めてポケモン)は、日本だとピカチューやルカリオあたりが人気なるところ、アメリカだと主人公のサトシが一番人気らしい。向こうはストーリーと、そこでスポットライトが当たるヒーローに反応しがち。その究極形が『スーパーマン』『アベンジャーズ』でしょう。その辺は宗教性のちがいだと思う。

 


日本だと石ノ森章太郎仮面ライダーなんかは、アメリカのマーベルあたりのヒーローと比べるとスゲー暗いのね。バットマンやジョーカーとも違う暗さ。仮面ライダーはどこか、うらさびしい、演歌的なものを感じるよね。庵野秀明の『シン・仮面ライダー』を評価するとすればそこだよ。仮面ライダーを、アメリカンヒーローみたいにしなかったところ。まあ、仮面ライダーファンならそんなことしないの当たり前なんだけどさ。

 


僕はギレルモデルトロ大好きだけどさ、彼の『パシフィックリム』ってそんなに好きじゃ無い。菊池凛子のオカッパは好きだけど(笑)結局さ、向こうの人がつくったロボットヒーローものって、なんかマッチョ感が抜けないんだよ。明るいスポットライト当てすぎ。日本のロボットアニメを観てごらんよ。ガンダムエヴァパトレイバー、どれもどこか「うらさびしい」んだよ。

 


(ちなみに、デルトロの『シェイプオブウォーター』は傑作だね)

 


石ノ森章太郎の功績は、「うらさびしさ」の導入だから。ハリウッド映画の影響を受けてた手塚治虫はたしかにスタイリッシュな漫画を量産したけど、石ノ森に比べると艶っぽさ、僕の言葉でいう「演歌的なもの」が足りない。石ノ森を研究すれば日本的なものの真髄が分かると言っていい。僕も大学生活の大半はその研究だったと言っても過言では無いからね。

 


演歌的なものというのは、端的に言えば、マイノリティーっていうか、弱い人間が世の中を生きていく上で感じるやるせない孤独感に対する応えだよ。わかる人にはわかると思う。基本的に僕のストーリーズを真面目に読んだりする人にはよく分かると思うよ(笑)

 


都心の向かい風になびくスーパーマンのマントじゃ無くて、海岸沿いの夕凪に淋しくなびく仮面ライダーの赤いマフラーのことを言ってるんだよ(笑)

 


他にも、例の『アイアンマン』よりも、名前もしれない郊外の黄昏に佇む『ウルトラマン』の方が日本的。やたらサイバーガジェット感が強いだけの『パシフィックリム』よりも、錆びれた工場のオイルや焼き魚の匂いがする『パトレイバー』や、包帯の少女や電線、工業都市の片鱗…的な、どこかアングラの匂いが漂い続ける『エヴァンゲリオン』の方が日本的。