僕を変えてくれた出会い

今だから告白できる。僕を決定的に変えたのは、シンガーソングライターの長嶋水徳ちゃんとの出会い。たとえばエリート志向の強い高校の軽音部にいると「上手いやつはスゴイ」という評価軸で計れないものに対して鈍感になりがちになる。僕もそうだった。だから長嶋水徳的な、ある種のアンダーグラウンド的なものを目撃した時に、「何がスゴイのか分からないけど、スゴイ」以上の言葉が出ない高校生の自分がいた。

 


そこで音楽の世界には、どんなに楽器を練習しても、到達できない「色気」があることに薄々気づいてくる。でもそれが明確に言葉にできず僕は頭を抱えつつ、あらゆる音楽や映画を見まくって答えを探す旅に出た。

 


それにそもそも、なぜ僕は宇多田ヒカルではなく椎名林檎が好きなのか?なぜベタなJPOPよりもアングラ音楽が好きなのか?といった類の疑問は、「上手いやつはスゴイ」という世界認識の範疇では分からないものだった。

 


で、結果的に分かったのは、芸術の世界にはニーチェ的に言えばアポロン的(明朗な太陽神)なものと、デュオニュソス的(どこか危険な匂いがする酩酊神)な系譜があるということ。「宮崎駿的なものに対する庵野秀明的なもの」「いきものがかり的なものに対する椎名林檎的なもの」と言うと分かりやすいかもしれない。僕は完全に後者の系譜だった。そして偶然この前、長嶋水徳のお父さんと喋ったら、第一声、「私は昔、後期ヴィトゲンシュタインを…」と始まって一瞬で意気投合。それで、「ああ、やっぱりか(笑)」と。

 


たとえばかつて秋元康はなぜ乃木坂に対して欅坂をわざわざ弁証法的にぶつけたのかをひとつ取っても…乃木坂の全体イメージは誰が見ても分かりやすくアポロン的なアイドルだけど、欅坂の、たとえば平手友梨奈を目撃した時に感じたある種の「ヤバさ」を、僕はデュオニュソス的なものと呼んでいる。僕がこれまでハマってきたアングラもの、例えば音楽なら人間椅子や八十八ケ所巡礼、漫画ならつげ義春、演劇なら寺山修司…このすべてがあとから振り返るとことごとくデュオニュソス的なものだった。

 


平成前期に椎名林檎神聖かまってちゃんが提出した反・アポロン的な世界観を、後期になると大森靖子や、長嶋水徳がうっかり継承し、その長嶋水徳を僕がうっかり継承するという連鎖がある。これは社会学者の宮台真司が、感染(ミメーシス)と呼んでいるものそのもの。こういう継承線を次に繋げることが僕のモチベーションになってる。

 


たとえば日本の戦後映画批評界では蓮實重彦小津安二郎的なものを逆張りで持ち上げたために、ブレードランナー的なものやアニメーション映画の系譜が過小評価されがちという事態になってしまった。そこで90年代になると、またある種逆張り的に後者(具体的には、岩井俊二など)を擁護するような立場が出てきた。で僕は90年代的なものをどう現代に接続するか。それが重要だと思ってる。

 


蓮實重彦の映画批評をラディカルに詰めると「アニメは映画じゃない」となる。背景が単調だし、人間の動きも不自然だから。そういうツッコミに敏感なクリエイターが、今度は背景をやり過ぎくらいに描いて、実写映画よりも情報量の多いアニメを作るというチャレンジ(具体的には、押井守の『攻殻機動隊』『イノセンス』がその極地)をする。そうなると、もはや、映画批評は特定のものさしで何かを測るよりも、「どのくらいヤバい匂いがするか」で傑作かどうかを判断するということ以外の妥当性が無くなってくるわけなんだよ。これがあらゆるジャンルで起きてると言って良い。

 


もっと言えば、今、逆張りで何かを擁護するという立場自体が無効になってると思う。何かをあえて持ち上げたり、あえて下げたりするという批評的態度そのものが、批評の対象になるから。伝統に対する反伝統とか、体制に対する反体制とか、ある種ヤンキー的な反抗は、それ自体がもう時代の変化とともに、賞味期限切れになってるんじゃないか。

 


日本でエンタメで勝負しようとする人間ほど、僕が言ったような視点に敏感にならざるを得ない。たとえばアイドル産業にしても、日本においては、韓国アイドルのような「完全性」を志向してもあまり意味がない場合がある。むしろZOCのような、過去に前科や問題行動がある「不完全性」を抱えたアイドルが時に志向され、一部の女の子たちの間でブームになるといった奇妙なことが起こるからだ。それと赤坂アカ横槍メンゴの『推しの子』ブームは全く同じ構造がある。それぞれの業界の最前線に、そういうポイントに無自覚な人間はいないと思う。

 


おそらく演歌的なものが、日本人のエートス(傾向)にある。

 


美空ひばりに歌詞提供しつつ、おニャン子クラブをつくった秋元康なんて、僕が言ったことについて、日本一敏感だと思う。美空ひばりおニャン子の良いところ取りの発明がAKBだったんだから。そしてAKBのアポロン的側面を強化して乃木坂が、デュオニュソス的側面を強化して欅坂が発生したっていうさ。バラバラなことをやってるように見えて、ぜんぶひと繋がり(笑)天才ってそういうことなんだよ。

 


AKBの時はAKB商法バッシングがあったりしたけど、文字通り右から左(笑)まで、結局たくさんの日本人が支持したんだから。(右翼の小林よしのりまで大島優子推しだったんだぜ?(笑))秋元康は、吉本隆明的に言えば「大衆の原像」を全部知った上で、そこにドストライクで投げ込んだだけ。僕からすれば、ジャニー喜多川の方がアメリカ的資本主義の権化であってさ。秋元康は極めて日本的文化人です。